シャトー・オー・ブリオンとは?基礎知識と歴史、起源

【最終更新日】2022年12月12日

シャトー・オー・ブリオン(Château Haut-Brion)は、フランス、ボルドー地方、グラーヴ地区の高級ワインを生み出すシャトーです。

1855年のボルドーの格付けでは、唯一グラーヴ地区から例外的に最上級の1級に選ばれています。

メドック以外から選ばれたのには当時からあまりにも品質や価格、名声どれもが高かったことが挙げられています。

 

シャトー・オー・ブリオンはおそらく5大シャトーの中では最も地味で、かつ、唯一のグラーヴ地区ということから価格も5大シャトーの中では低めになっている傾向があります。

ただし品質的にはメドックの1級シャトーに比肩し、ヴィンテージによっては最も評価を受けるものもあり、いわゆる通好みのシャトーでもあるといえます。

 

ボルドー市に近いところから歴史的に最も早く注目をされたシャトーはオーブリオンとされています。

もともとが湿地帯でボルドー市から離れているメドックは流通上デメリットも多く、盗難やまがい物の横行もあり、信頼性に欠けていたのです。

ところがオーブリオンはボルドー市に隣接しているため流通の面で優位性があり、そのため最も早く評価を受け、ボルドーワイン全体の品質をリードしていたのです。

そのためシャトー・オー・ブリオンを模範にしてメドックのシャトーは切磋琢磨した経緯があり、「お手本中のお手本のワイン」は実はオーブリオンなのです。

今回はそんなシャトー・オー・ブリオンがどのような歴史を辿り、ワイン造りを行ってきたのかを見てみましょう。

 

サムネイル画像:Par BillBl — originally posted to Flickr as Chateau Haut-Brion, CC BY 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4093026

 

シャトーオーブリオンの基礎知識

テロワール


シャトー・オー・ブリオンの畑はグラーヴ地区の中でも最もメドックに近く、ガロンヌ河の西の内陸部に位置します。

ガロンヌ河が山地から様々な岩質の土壌を運んできました。

やや大きな石礫はグラーヴあたりで沈積し、やや小ぶりの丸礫がオー・ブリオンからメドックあたりに集まりました。

その上に西方のランド地方から風が運んできた砂が積もり、この場所は丸礫石と砂が絶妙なバランスで組み合わさった土壌になりました。

 

また、地質学者のアンリ・エンジャルベールによると、オー・ブリオンの土壌はポイヤックのラトゥールとよく似ているとのことです。

また、オー・ブリオンはボルドー市に近いので、優れた人材が集まりやすいという点も優れたワイン造りに繋がりました。

 

オー・ブリオンの畑は51.22ヘクタールあり、そのうち48.35ヘクタールが黒ブドウ(45.4%メルロ、43.9%カベルネ・ソーヴィニヨン、9.7%カベルネ・フラン、1%プティ・ヴェルド)が植えられ、残りの2.87ヘクタールには白ブドウ(セミヨン52.6%、ソーヴィニヨン・ブラン47.4%)が植えられています。

 

 

ワイン造り

オー・ブリオンはワイン造りにおいて時代の先端を行くような試みが積み重ねられていました。

例えばオー・ブリオンはステンレスタンクでの発酵を五大シャトーで先駆けて導入したことで有名です。

 

1961年から導入をしたのですが、当時は大変な試行錯誤がされていました。

醸造責任者のデルマスはできるだけ果汁と果帽との接触を多くするという発想からタンクの形を太くずんぐり型にしました。

結果的にステンレスタンクはその有効性が認められ、現在では多くの一流シャトーがステンレスタンクを導入しています。

 

またオー・ブリオンはクローンの研究にも力を入れています。

同じカベルネ・ソーヴィニヨンでも数多くのクローンが存在しています。

オー・ブリオンは農業技術開発機構と連携して、それぞれの畑の区画の土壌を分析してそれに最も合うと考えられるクローンを選び、年に1ヘクタールずつ植え替えていくということを行いました。

 

歴史・起源

1838年頃のオーブリオンのイラスト

現代ではボルドーワインといえば真っ先にメドック地区の名前が挙げられますが、意外なことにボルドーワインが発達し始めたのはグラーヴ地区からでした。

オー・ブリオンの畑は最も古い文書で1423年に既に存在していたと確認されています。

その場所は市街地に非常に近いという特徴があります。

 

かつて治安が悪かったボルドー地方において街に近いというのは有利に働きました。

メドックあたりには強盗がたびたび出ていたのですが、港のあるボルドーまでそんな強盗の出る危険な道を30kmもワインを運ばなければならないポイヤックなどのワインはほとんど知られていませんでした。

そんな中オー・ブリオンは頭角を現し、逸品として別格の扱いをされるようになりました。

 

 

現在のシャトーは1533年に創始者のジャン・ド・ポンタックによって建てられました。

それ以降200年にわたってポンタック家がシャトーを所有します。

ジャンの死後、シャトーは孫のジョフレイ・ド・ポンタックが相続しました。

1649年ジョフレイはブドウ畑を長男のアルノー3世に遺贈しました。

アルノー3世はボルドーの市議会議長を務めていましたが、ブドウ栽培やワイン造りに熱心でした。

当時まだ一般的に行われていなかったウイヤージュ(樽熟成中に蒸発したワインを補充すること)や、澱引きを採用しました。

それだけでなく、当時のワインは1年ものが主流でしたが、長期熟成させる方法の開発に取り組みました。

 

彼のワインはポンタックの愛称でイギリスでも人気になります。

それまでボルドーワインのただ単にグラーヴという名前でしか呼ばれていませんでしたが、特定の「オー・ブリオン」という名前で売り出したのもアルノー3世が初めてです。

アルノー3世の息子のフランソワ・オーギュストは、ワインの名声を高めるためにPR活動に取り組みました。

1666年ロンドンにThe Sign of Pontac’s Headという居酒屋を開業しました。

その後も複数の所有者を経てオー・ブリオンは改装などがされていきました。

 

そしてオー・ブリオンの歴史で最も重要なのが1855年の格付けです。

その頃のオー・ブリオンの名声はまさに全盛に達していました。

ワインの格付けを行っていた商工会議所は、赤ワインはメドック地区のものだけと絞っていました。

しかし、あまりにもオー・ブリオンの名声、品質、流通価格(格付けは流通価格によって定められていました)が高く、無視するわけにはいきませんでした。

そのため唯一の例外としてグラーヴ地区であるオー・ブリオンは1級格付けをされることになります。

現在でもオー・ブリオンは五大シャトーとして世界のワインのトップに君臨し続けています。

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